でもこれもぜーんぶ夫からのご招待なので、本当に限られた方々しか呼んで差し上げられなくてごめんなさい。
ただこんな楽しいことを夫婦2人で2人占めしても、そんなのはつまらないと夫も私も思うのです。
だからこの1年ご縁のあった方、普段から応援してくださる方々、デューク更家に尽くしてくれる弟子達に喜んでもらいたい、その一心で毎年開催してるお祭りでもあります。
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来年は何かのご縁があって、これを読んでくださってる貴方にこのインビテーションを差し上げられたら!なんてね!?
さあ、そして伝説の通り、12年ぶりの雨で始まったモナコグランプリ。
2年目にしてモナコを制覇したルイスハミルトンは、まるでここに焦点をあててたかのように、フェラーリの連勝を4でストップし、今までの不調の噂を払拭しましたね。憧れだったモナコマイスターのアイルトンセナに一歩近ずいた気がしたのでしょうか、本人の喜びようも普通じゃなかったですね。
今年の私の見所は2世対決。
話題の中島一貴、ネルソン・ピケジュニアのネルシーニョ・ピケ、対1982年のF1チャンピオン、フィンランド人のケケ・ロズベルグを父に持つニコ・ロズベルグ。
この2世たちが見えかくれさせる、親子のDNAがとても興味深いんですね、私にとって。 |
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生沢哲や中島悟が好きで、カーグラフィックが愛読書で、16歳の時に聞いた、ロータリー13Bエンジンの音に痺れたのがきっかけで、18歳になるやいなや免許を取り、真っ赤なロータリーコスモを親に内緒でバイトして買ったんですよ。変な女でしょう?
何時間でも運転していられて、他人の運転に乗せてもらうのは今でもだめで・・・。
だから、夫とはそういう意味で相性がピッタリなんです。
だって、俺はウォーキングのデューク更家や。俺に運転しろって頼むんだったら、俺は歩いていくから!って人ですから(笑)ああ、いい人と結婚したなあ、って思いますよ。
チャンネル争いならぬ、ハンドル争いがうちにはないんですから。
初めてのモナコを走るネルシーニョ、(ピケジュニア)は、ドライタイヤに代えた後、雨後のコースに足を取られたのか、サンデボーテの先で脱落することとなってあっけない終わり。
周りの期待も、取り分け自分の父親であるネルソン・ピケの期待を痛いほど感じてる彼にはつらい結果となってしまいました。
ネルシーニョはまだブームが来てないけど、かなりのイケメンなのを皆さんご存知ですか?
ブラジルのラテンの香りと、貴公子のような端正な顔立ちがポイント高く、実は私隠れファンなのです。がんばって、ネルシーニョーーーー。
その後、左タイヤのリアが入らないという、ウイリアムズらしくないミスで入賞圏内にいた中島一貴が、10位まで順位を落とし、そのミスのあおりを食って、チームメイトのニコ・ロズベルグがピットイン出来ず、コースに戻っていくと言うまさかの混乱があり、終盤になって、ロズベルグのマシンがヌーベルシケインで単独クラッシュ。これもウエットな路面を踏んでしまったからでしょうか?
派手なクラッシュだったから、これにより2回目のセーフティカー導入、2時間レースに変わり、これで終わりかと思いきや、2007年ディフェンディングチャンピオンであるライコネンの、ヌーベルシケイン手前まさかまさかの痛恨のミス。
非力なマシンであるにも関わらず、終盤まで4位をキープしていたフォースインディアのスーティルに追突。
か、かわいそう過ぎませんか?これって。 |
雨後のモナコは何が起こるかわからない・・・。
注目(私だけ?)の2世対決は、ドライバーズエイドが今年から禁止になり、ドライバーにとって真価を問われる今、ただでさえ難しいモナコで、ベテランでも苦しむ雨のコンディションの中、日本人初ポイントを上げた中島一貴はやはり、すごいとしか言いようがないでしょう!
お父さんのお喜びはいくばかりかと想像し、うるっとなっておりました。
そうこうしながら、誰を応援してようと関係なく盛り上がった我が家のパーティも、そろそろお開きが近くなり、お約束の長女小麦さんの歌のお時間となりました・・・。
すいませんね来ていただいた皆様、親ばかで。
声楽を勉強している娘の素人な歌ですが、いい気分の時に毎年のように聞かされるお客人は迷惑かもしれないのに、皆さん拍手喝采してくださり、それが娘の励みになっております。
今年は娘の歌のあと、モナコ在住オペラ歌手の友佳子クスト平盛さんに歌っていただきましたが。
友人が娘のオペラの先生を探してる私に紹介してくださったのですが、おかげで娘は歌うことの楽しさに目覚めたようで、鼻歌は大塚愛ちゃんから、オペラ歌曲になり、お母さんの私まで気が付いたら口ずさんでる始末。
「バ〜ッッチョ、バッッチョ!」、イタリア語で(私を)ぶって、ぶって!という意味らしいけど、そこが口についてしまって!
「ママ〜!なんでそこなの!?変!」と怒られながら、う〜ん、どういうシーンで歌われる歌なんでしょうねえ。興味がわきます。
こうしてパーティはお開きになり、ここからデューク更家と歩こうF1コース!になるわけで、まだタイヤのゴムが焼けた匂いのするサーキットへ、皆で繰り出し、タイヤの焼けたゴムの破片を拾いながら、ぞろぞろとオテルドパリまで歩き、そこでまた1席設けて、生バンドで踊りまくるのが恒例となっております。
お鍋でいうところの、〆の雑炊って感じですかね、はい。
何日間かを一緒に過ごした人々が帰られると、やはり寂しいものです。
私達ファミリーのモナコグランプリはこんな感じで幕を閉じ、あまりの楽しさにまた来年を指折り数えてしまうわけです。
慣れない頃は確かにお客様に気を使うあまり、自分が楽しめなくて、何をしてるんだろうと思ったこともありましたが、それもだんだん歳を重ねていくと、上手に楽しめるようになるものです。
だけど、そういう私になれてからのほうが、皆さんもくつろいでくださってるような気がするってことは、いいカッコをしなくなる時から、人と人は近くなるのでしょうね。
そうそう、ちなみにこの様子はセブンシーズという雑誌の中で、6月末発売号あたりで紹介されることになっています、お知らせまで。 |
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